2022年01月10日
われわれは今どこへ向かうのか?
南海日日新聞 2022/1/10
われわれは今どこへ向かうのか?
談 論 石田 秀輝
今年は、暖かく穏やかな元旦の朝を迎えたが、世界では
アメリカ、中国、EU、ロシアの大国が自国第一主義を標
榜しお互いにけん制しあう時代でもある。地球環境の限界、
経済システムの限界を迎え、今こそ世界がIつにならなけ
ればならないという時に・・・。
しかし、見方を変えれば、どの国も次の一手が見えず、閉
鎖的にならざるを得ないのかもしれぬ。日本も同様である、
1980年代にアメリカで大失敗したレーガノミクスのコ
ピーをアベノミクスと称して取り入れ、同じく大失敗しこ
の30年で日本の世界競争力は1位から過去最低の34位にま
で落ちてしまった。
だが、こんな見方もできる。
われわれは過去、狩猟採集社会、農耕社会を経て現在の工
業化社会築いているが、おのおのの社会の変遷は、まず
エネルギーを見つけ出し、次に情報を利用して効率を上
げ、最終的に文化を醸成させて終えんを迎えてきた。
狩猟採集社会では、移動を基本とする食料(エネルギー)
確保に始まり、言語コミュニティーによる情報で狩りの
効率を上げ、晩期には例えばラスコーの壁画に見られるよ
うなアートを残した。
農耕社会では、太陽のエネルギーを使って食料をつく
り、交易(情報)のために町をつくり、その晩期、例えば
日本では能や茶道などのわびさび文化を醸成した。現在の
工業化社会は地下資源やエネルギーを使って「もの」を
つくり、70年代からICTを使って世界から情報を集め、
グローバルに濃いところから薄いところへ「もの」を移動
させ資本主義という経済形態をつくってきた。
そして今、コロナ禍の調査でも明確に浮かんできたのが
「アートは第2の生命維持装置」という概念だ。すでにエ
業化社会は晩期にあることは間違いない。そして日本がこ
の30年間、ほとんど経済成長できず、アベノミクスの6本
の矢に代表されるように、何をやっても効果が出ないの
は、工業化社会が終えんし、次の社会へ移行しなければな
らないのにそれが何か見えず、のたうち回るしかなかっ
たからではないのか。世界の大国が自国第一主義を標榜す
るのも、次の社会が見えないからではないのか、そうであ
れば、日本の停滞はまさに世界を代表する課題先進国であ
るから、ともいえる。
ではわれわれはどこへ向かうのだろうか? それは間違
いなく「人と自然が寄り添う社会」であると思う。あるい
は、それは「生命文明社会」の創成ともいえる。それは、
人間を含めたあらゆる生き物が循環と言う概念の中で生き
てゆくということである。それは、われわれのあらゆる行
動が人にも地球にも有効であるということ(Human
and the Earth Pos・ltive)でもある。
世界の120カ国以上の国々が宣言した「2050年
カーボン・ニュートラル」もその一つなのだ。
地球上のすべての生物総量はおよそ1・1兆トンだが、昨
年12月に人工物の総量がそれを超えた。生物の1・1兆トン
は、ほぼ太陽エネルギーだけで完璧な循環をしているが、
人工物のI・1兆トンは、地下資源やエネルギーを大量に使
って生み出され、そのほとんどが寿命を終えればごみとな
って地表に堆積される。
つくる時・つかう時に大量の二酸化炭素を放出し、寿命
が終わっても地球の循環に戻ることなく、半永久的に使い
道のないごみとして存在するだけである。そして、今でも毎
年300億トンを地球から搾取し続けているのである。これ
こそが地球環境問題なのだ。
では「人と自然が寄り添う」とはどういうことなのか、そ
れは例えば「もの」で考えれば、ものを持たない暮らし「も
のは使用量によって課金され、どのように使用されたの
かは、ものに組み込まれた情報端末によって管理される。
ものの供給者は、長寿命で故障し難く、故障しても簡単に
修理ができるような設計に変更、従来型の使い捨て設計と
は全く異なる設計が求められ、ものの機能が劣化しても、
部品(例えば制御部分)は他のものにも利用でき、ものの
寿命が完全に終了して初めてリサイクルされる。ただし、
リサイクルされることを前提に初期設計されており、自然
からバージン原料を搾取することはもはやない。」そんな
社会ではなかろうか。
食に関しても、地消地産(自足)がますます重要になり、
大量のエネルギーを使って輸送すること自体が受け入れら
れない社会になるのだろう。
だが、それはローカルが豊かで主役になるということで
もあるのだ。
(東北大名誉教授、知名町徳時在住)

われわれは今どこへ向かうのか?
談 論 石田 秀輝
今年は、暖かく穏やかな元旦の朝を迎えたが、世界では
アメリカ、中国、EU、ロシアの大国が自国第一主義を標
榜しお互いにけん制しあう時代でもある。地球環境の限界、
経済システムの限界を迎え、今こそ世界がIつにならなけ
ればならないという時に・・・。
しかし、見方を変えれば、どの国も次の一手が見えず、閉
鎖的にならざるを得ないのかもしれぬ。日本も同様である、
1980年代にアメリカで大失敗したレーガノミクスのコ
ピーをアベノミクスと称して取り入れ、同じく大失敗しこ
の30年で日本の世界競争力は1位から過去最低の34位にま
で落ちてしまった。
だが、こんな見方もできる。
われわれは過去、狩猟採集社会、農耕社会を経て現在の工
業化社会築いているが、おのおのの社会の変遷は、まず
エネルギーを見つけ出し、次に情報を利用して効率を上
げ、最終的に文化を醸成させて終えんを迎えてきた。
狩猟採集社会では、移動を基本とする食料(エネルギー)
確保に始まり、言語コミュニティーによる情報で狩りの
効率を上げ、晩期には例えばラスコーの壁画に見られるよ
うなアートを残した。
農耕社会では、太陽のエネルギーを使って食料をつく
り、交易(情報)のために町をつくり、その晩期、例えば
日本では能や茶道などのわびさび文化を醸成した。現在の
工業化社会は地下資源やエネルギーを使って「もの」を
つくり、70年代からICTを使って世界から情報を集め、
グローバルに濃いところから薄いところへ「もの」を移動
させ資本主義という経済形態をつくってきた。
そして今、コロナ禍の調査でも明確に浮かんできたのが
「アートは第2の生命維持装置」という概念だ。すでにエ
業化社会は晩期にあることは間違いない。そして日本がこ
の30年間、ほとんど経済成長できず、アベノミクスの6本
の矢に代表されるように、何をやっても効果が出ないの
は、工業化社会が終えんし、次の社会へ移行しなければな
らないのにそれが何か見えず、のたうち回るしかなかっ
たからではないのか。世界の大国が自国第一主義を標榜す
るのも、次の社会が見えないからではないのか、そうであ
れば、日本の停滞はまさに世界を代表する課題先進国であ
るから、ともいえる。
ではわれわれはどこへ向かうのだろうか? それは間違
いなく「人と自然が寄り添う社会」であると思う。あるい
は、それは「生命文明社会」の創成ともいえる。それは、
人間を含めたあらゆる生き物が循環と言う概念の中で生き
てゆくということである。それは、われわれのあらゆる行
動が人にも地球にも有効であるということ(Human
and the Earth Pos・ltive)でもある。
世界の120カ国以上の国々が宣言した「2050年
カーボン・ニュートラル」もその一つなのだ。
地球上のすべての生物総量はおよそ1・1兆トンだが、昨
年12月に人工物の総量がそれを超えた。生物の1・1兆トン
は、ほぼ太陽エネルギーだけで完璧な循環をしているが、
人工物のI・1兆トンは、地下資源やエネルギーを大量に使
って生み出され、そのほとんどが寿命を終えればごみとな
って地表に堆積される。
つくる時・つかう時に大量の二酸化炭素を放出し、寿命
が終わっても地球の循環に戻ることなく、半永久的に使い
道のないごみとして存在するだけである。そして、今でも毎
年300億トンを地球から搾取し続けているのである。これ
こそが地球環境問題なのだ。
では「人と自然が寄り添う」とはどういうことなのか、そ
れは例えば「もの」で考えれば、ものを持たない暮らし「も
のは使用量によって課金され、どのように使用されたの
かは、ものに組み込まれた情報端末によって管理される。
ものの供給者は、長寿命で故障し難く、故障しても簡単に
修理ができるような設計に変更、従来型の使い捨て設計と
は全く異なる設計が求められ、ものの機能が劣化しても、
部品(例えば制御部分)は他のものにも利用でき、ものの
寿命が完全に終了して初めてリサイクルされる。ただし、
リサイクルされることを前提に初期設計されており、自然
からバージン原料を搾取することはもはやない。」そんな
社会ではなかろうか。
食に関しても、地消地産(自足)がますます重要になり、
大量のエネルギーを使って輸送すること自体が受け入れら
れない社会になるのだろう。
だが、それはローカルが豊かで主役になるということで
もあるのだ。
(東北大名誉教授、知名町徳時在住)
